ガーシュイン 

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ガーシュイン

 
 フォスター以来、アメリカの生んだ最大の作曲家ガーシュインは、従来の
クラシックの作曲家とは違った生涯を歩んでいる。

  1924年発表されたラプソディー・イン・ブルー冒頭のクラリネットの広域グリッサンドも衝撃的で、従来の音楽を逸脱したものであった。

 39歳という短い生涯は、どのようなものであったのだろうか・・・?      
  
 


  ジョージ・ガーシュインは、1898年6月26日、ユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークの下町ブルック
リンに生まれた。

 父親は職を転々としていて家計は貧しかったが、ハーレムにコインを入れると動く自動演奏ピアノがあり、
ガーシュインは乏しい小遣いをつぎ込んで様々な曲を楽しみ、ピアノに親しんでいたらしい。

 友人の家にいりびたり、ピアノを弾かせてもらうようになったので、12歳の頃、親が貧しい家計を無理して
中古のピアノを買い与えた。彼はいわゆる正規の音楽教育は受けていない。ピアノを相手に自己流で
弾きこなし、旋律を作り始める。手本は当時の流行歌だった。
 次第に彼が難しい曲もすらすらと弾いてのけたので、母親はさっそく彼を本格的な先生に師事させることに
した。

 ハンビッツァーという良き師に巡り会い、この師からレッスン料免除でバッハ〜ドビュッシーまで心行くまで
習うことができた。

 15歳で商業学校を中退し、リミック社という楽譜出版社にデモンストレーションピアニストとして雇われ、
音楽生活のスタートを切る。新曲を買いに来るショー・ビジネス関係者に新曲をピアノで弾いて聴かせる
仕事である。劇場のリハーサルピアニストや、伴奏でも稼いでいた。 

 出世作となったのは、作詞家アーヴィング・シーザーとの共作になる1919年の歌曲「スワニー」で、
人気歌手アル・ジョンソンに気に入られて彼が繰り返し歌ったことから大ヒットし、人気ソングライターとなる。
楽譜は百万部、レコードは二百五十万枚売れたという。

 文学的な兄アイらが作詞をするようになり、コンビを組んでレビューやミュージカル向けに多くの
ポピュラーソングを送り出す。

 そんな彼に目をつけたのが、当時ジャズの王様の名をほしいままにしていたポール・ホワイトマンだった。
クラシックとジャズの融合を目指していたホワイトマンは、ガーシュインにジャズ風協奏曲の作曲を依頼して
くる。
 2台のピアノ用の原曲を完成させ、 オーケストレーションに、オーケストラの名アレンジャー、ファーディー・
グローフェの力を借りて、1924年ついに、劇的に「ラプソディー・イン・ブルー」を発表する。

 ガーシュインのピアノ、ホワイトマンの指揮で初演は大成功。聴衆は、これまで聴いたことのない音楽に
どよめき、新聞はこぞってこの作品を讃え、若き作曲家の才能を激賞した。

 しかし彼に本格的な作曲法やオーケストレーションを学んできていないため、その後は多忙な仕事の
合間に独学でオーケストレーションを学ぶ。

 そして、翌年ピアノ協奏曲ヘ長調を作曲し、オーケストレーションを実現。

 それでもさらにオーケストレーションを学ぶために、2人の先輩作曲家に弟子入りを申し込んでいるのである。

 一人はストラヴィンスキー。しかしガーシュインがクラシック作曲家としては異例の高収入で知られていた事
から、逆に「如何すれば其処まで収入を上げられるのかこちらが教えてほしい」と言われたエピソードがある。

 もう一人はラヴェル。ところがラヴェルも「あなたは一流のガーシュインです。何も今さら2流のラヴェルに
なることはありませんよ」と軽く受け流されている。

 その後、オーケストラ曲「パリのアメリカ人」、オペラ作曲を渇望し、「ボギーとベス」を完成させている。

 これらの名作を生んだ若き天才を、ジャーナリズムは放ってはおかなかった。追いつかないほどの仕事に
日々追われ、病気の発見が遅れる。

 39歳になる前に、作曲中に病に倒れる。ショパンと同じ、短い生涯であった・・・。
 


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